ボブ・ディランのノーベル賞の代読スピーチから見るペルソナ分析

マーケティングやセールスをするときに
頻繁に出てくる「ペルソナ」という概念。

もともとは劇で用いる「仮面」のことだったようで
さらにPersonal(パーソナル)の語源にも
なっているそうです。

「よくある顧客像」としてペルソナを設定することで
マーケティングやセールスの企画が立てやすくなります。

この顧客像の属性を細かく設定することで
ペルソナ像が明確になっていきます。

例えば、年齢、性別、住所、学歴、
趣味、家族構成、年収、趣味、髪型、
友人関係、家の間取り 等など
数えればきりがないくらいありますね。

このペルソナについて
ボブ・ディランがノーベル賞受賞スピーチ(代読)にて
一部ですが言及していたので、紹介したいと思います。

ボブ・ディランのノーベル賞スピーチ全文(代読)

こんばんは、みなさん。スウェーデン・アカデミーの会員の方々、そして今夜出席していらっしゃる賓客のみなさまへ心からご挨拶申し上げます。

みなさまとご一緒できず申し訳ありません。しかしどうか、私の気持ちは間違いなくそこにあり、このような名誉ある賞をいただき私が光栄に思っていることを知ってください。ノーベル文学賞を受賞するなんて、想像も予測もしていませんでした。私は幼い頃から、キップリング、ショー、トーマス・マン、パール・バック、アルベール・カミュ、ヘミングウェイなど、この栄誉に相応しいと考えられた人々の作品に慣れ親しみ、読み、吸収してきました。その作品が学校で教えられ、世界中の図書館に収納され、敬意を持って語られる、これら文学の巨匠たちにはいつだって深い感銘を受けていました。いま、私がそのリストに加わるとは、本当に言葉がありません。

彼らや彼女たちがノーベル賞について考えたことがあるのか、私は知りません。しかし、本または詩や戯曲を書く人たちは世界中誰であれ、心の底ではそのような密かな夢を抱いているのかもしれません。多分、自分でも気づいていないほど深いところに埋められているのでしょう。

もし誰かが、私にわずかながらノーベル賞を受賞するチャンスがあると言ったなら、私は月に行くのと同じくらいの可能性しかないと考えねばならなかったでしょう。実際、私が生まれた年およびその後数年は、このノーベル賞に値すると考えられている人は世界中どこにもいませんでした。ですから、控えめに言っても、私は希少なグループの一員になったのだと認識しております。

この驚きの知らせを受けたとき、私はツアー中で、それを呑み込むのに数分以上かかりました。そして、偉大な著述家、ウィリアム・シェイクスピアのことを考え始めました。私は、彼は自身のことを劇作家だと考えていたと思います。文学を執筆しているという思いは彼の頭の中になかったでしょう。彼の言葉はステージために書かれたものです。読まれるのではなく話されるためのものでした。ハムレットを書いているとき、彼は多くの別のことを考えていたと思います。“これらの役に相応しい俳優は?”とか“どう演出すべきか?”“本当にデンマークを舞台にしたいのか?”などといったことです。彼が、自分のクリエイティブ・ヴィジョンや大志を第一に考えていたのは間違いないでしょうが、“資金は大丈夫なのか?”“パトロンに十分いい席を用意できるのか?”“骸骨はどこで手に入れたらいい?”など、考えなくてはならない、対処しなくてはならない、より俗世的な事柄もあったでしょう。“これは文学なのか?”という質問は、シェイクスピアの中では最も縁遠いものだったと私は確信しています。

私がティーンエイジャーで曲を書き始めたとき、自分の技量が知られるようになったときでさえ、曲に対しての私の望みはこんなものでした。コーヒー・ハウスやバーでかかるようになるかもしれない、もしかしたらカーネギーホールやロンドン・パラディアムのような場所でもあるかもしれないと思っていました。大きな夢をみるとしても、想像できるのはレコードを作る、ラジオで流れる程度のことでした。自分の中では、それが本当に大きなプライズでした。レコードを作ったり、ラジオで流れるというのは、そこには多くのオーディエンスがいて、自分が始めたことをやり続けられる可能性があることを意味していました。

そうして、私は自分が目指したことを長い間やり続けてきました。たくさんのレコードを作り、世界中でたくさんのコンサートを開きました。しかし、私がやることほとんど全ての中枢にあるのは、曲です。私の曲は多くの異なる文化を通じ、たくさんの人々の人生の中に入り込んだように見えます。私はそれを嬉しく思っています。

しかしながら、このことは言わなくてはなりません。パフォーマーとして私は5万人を前にプレイしたことも50人を前にプレイしたこともあります。そして、50人を前にプレイするほうが難しいのです。5万人は1つのペルソナとなりますが、50人はそうではありません。1人1人が、それぞれ別の違ったアイディンティティ、言葉を持ちます。彼らは物事をより明確に見抜くことができるのです。あなたの誠実さ、それが才能の深さとどう結びつくのか、試されるのです。ノーベル委員会は小さい、これが意味することを私は理解しております。

しかし、シェイクスピアと同じように、私も創作に最善を尽くすと同時に、“この曲に最適なミュージシャンは?”“相応しいスタジオでレコーディングしているのか?”“この曲はこのキーでいいのか”などと俗事に追われることが多々あります。400年経っても変わらないことはあるのです。

“私の曲は文学なのか?”と、自分に問いかける時間を持ったことはありませんでした。

ですから、この質問を考察する時間を持ち、最終的に、こんな素晴らしい答えを見出してくれたスウェーデン・アカデミーに感謝します。

みなさまのご多幸をお祈りします。

ボブ・ディラン

引用元:https://www.barks.jp/news/?id=1000135939
(強調部分のみ装飾加筆)

50人のペルソナと5万人のペルソナ

ペルソナ分析について
はっとさせられる部分がありましたね。

パフォーマーとして私は5万人を前にプレイしたことも50人を前にプレイしたこともあります。そして、50人を前にプレイするほうが難しいのです。5万人は1つのペルソナとなりますが、50人はそうではありません。1人1人が、それぞれ別の違ったアイディンティティ、言葉を持ちます。

という部分です。

普通に考えれば、逆の発想です。

50人のペルソナを見る方が
5万にのペルソナを見るよりも
ずっと簡単のように思います。

しかも、5万人のスタジアムやアリーナでは
1人1人の顔がよく見えません。

50人なら小さなライブハウスで
近い距離で顧客を観察できます。

でも、ライブハウスの方が
ペルソナが見えないというのです。

それはなぜでしょうか?

統計学的に考える

シンプルに考えると答えが見えてきます。

「サンプル」が少ないからです。

例えば、市場規模が1万人の市場の
マーケティング戦略を考えるときに

属性がマッチした顧客が、
実際に目の前に3人いたとして
その3人だけから市場全体のペルソナを考えるようなものです。

3人とも市場全体にちょうどよく当てはまるような
人物なら問題ありませんが、その確率は極めて低いでしょう。

3人よりも100人、100人よりも1000人の
実際の顧客を観察することで
より正確なペルソナ像を構築することができます。

次の図のように、全体から推測されるペルソナのラインから
外れたサンプルを取得しても、永遠に実際のラインは見えません。
(普通はこんな風には考えないけど、分かりやすくするため)

目の前に顧客が正解とは限らない

このことから学べることは
今あなたが新しい市場に挑もうとしていて
実際のターゲットや顧客が目の前にいたとしても
それが必ずしも正解とは限らないということです。

近視眼的に物事を観察することなく
分析するためのサンプルはこれで十分なのか?を
しっかりと問う必要があるでしょう。

もしあなたの知っているサンプルが
実際の市場の中ではイレギュラーな人物像なら
出来上がったペルソナは極端なものになり
マーケティングやセールスの企画が台無し
なってしまうことでしょう。

ボブ・ディランのスピーチは
それを彼の経験から示唆してくれているのです。

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